可愛山同窓会24期会〜鹿児島県立川内高等学校
鹿児島県立川内高等学校
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◆我が24期同期生による、 NPO法人日本ミャンマー交流協会 を通じてのミャンマーへの寄付金の使途について、日本ミャンマー交流協会の事務局長をしている同期の小山茂くんから報告がありましたので、送られてきた写真数枚と共にここに紹介させて頂きます。 

◆そもそものきっかけは、日本ミャンマー交流協会の活動内容やミャンマーのことなどを「報恩」という演劇を通して一人でも多くの私たち日本人に伝える為に活動しているグループがありまして、去る平成22年5月16日(日)に我が24期同期生の一部有志により「報恩」上演を主催して、余剰金を寄付しようということになりました。その結果、僅かかもしれませんが、何とか寄付させていただく事が出来ました。

結果的には、小山茂くんにその寄付の方法や使途など全て相談することになりましたが、それに対して彼から丁寧な経過報告を頂きましたので、ここに紹介させて頂くことにしました。具体的な金額も書いてありまして、現地の物価等も大体判るような感じで、日本ではわずかかもしれない金額だと感じていても、今回も思いのほか効果的な応援になったかなとみんなで喜んでおります♪

◆ミャンマーのことは、アウンサン・スーチー女史が未だに軍事政権によって、自由を奪われている不自由な国で、仏教への信心が深い国だというくらいしか知らなかったんですが、今回をきっかけに少しは知ることが出来て良かったと思っています。

これも小山くんの文章を借りますと次のようになります;−−−−−−−−−−−−−−−−−

ビルマ方面作戦(第二次世界大戦)で約16万人とも19万人とも言われる日本兵が彼の地で死亡しており、境内というか敷地から慰霊施設までをミャンマー人女性が毎日ボランティアで清掃していたこと、多数の日本人の名前がパゴダに書かれていたこと、中には日本赤十字の女性の名前も多数あったこと。

暫定とはいえ軍事政権のことが前面に出て日本では印象がよくありませんが実際には、軍創設は元は日本であり今でも「軍艦行進曲」その他が演奏されており、国軍記念館でも教科書でも日本の貢献を評価し、国内各地に旧日本軍関係者の慰霊碑が建立されています。
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そして今でももちろん、ミャンマーの人達が私たち日本人の戦死者達の慰霊施設を清掃してくれているそうです。しかもボランティアで。さらに、現在多くの民衆を苦しめているであろう軍事政権の創設に旧日本軍関係者が大きく関わっていたのに、ですよ!一番最初に演劇の名前が「報恩」と聞いてちょっとだけ疑念を抱いたのですが、ここまで知れば正に「報恩」としか言いようがないと思いました!おそらく、日本でミャンマー人に出会ったら、とっさに手でも握って「ありがとう!」と叫んでしまうかもしれません!

ついつい長くなってしまいましたが、彼からの経過報告と写真を紹介させて頂きますね。

※参考まで;−
別にここで積極的にお願いしている訳ではありませんが、もし、どなたかミャンマーへの支援や、演劇「報恩」についてお問合せ等ございましたら、 NPO法人日本ミャンマー交流協会 へお尋ね下さい。

(平成22年6月10日 by 管理人:風太郎)
◆小山茂くんからの経過報告(現地の様子も良く判るので、殆んど彼の文章そのままでお伝えいたします)
(その1)〜平成22年6月8日(火)
寄付してもらいました金員は既にヤンゴンに送金してあります。今週には孤児120人に教科書を寄贈できるように現地では動いて
くれています(既に必要部数の教科書は購入したとのこと)。写真等が送られてきますので、それと一緒に報告等も行います。

寄贈して頂いた3万円+1万円ですが、ミャンマーでは1万円≒約10万チャットという金額で、普通レベルの4人家族が1ヶ月生活できる金額になります(ちなみに協会の現地スタッフの給与の最高額と同じ)。このため4万円で孤児120人分の教科書を昨日には購入しました(ただし、4学年までいますので購入資金は各学年同一ではありません)。

今週中には寄付を行うということでしたので写真等が届きましたらあらためてお知らせします(僧院側との日時を調整中とのことでした)。ついでですけど、縫製工場の女性工員の給与は日本円で、2000円〜5000円(但し社宅付)というレベルです。他方、最も給与が高いのは日本大使館とJICAに勤務しているミャンマー人で、最高額をもらっている人は1600jUPというところもあります。

なお、孤児120人分の教科書を購入してもまだ少し余るようでしたから、別の僧院または高齢者あるいは身障者施設で、何かで有効に活用させてもらいたいという報告でした(※後日、報告が来ます)。


(その2)〜平成22年6月9日(水)
寄付金ですが、本日午後、ヤンゴン市内のタケタ(Taketa)Township 東区にある僧院が運営している学校に教科書が寄付されました。

昨日購入して仕分けた教科書のほか僧衣などについて、協会のヤンゴン事務所の関係者とヤンゴン工科大学の卒業生たちが持参して行われたものです。孤児120人ほどが学んでいますが、一部はコーエンと呼ばれる小坊主になっており、彼等はそのまま仏教の僧侶として一生を過ごすことが多いようです(コーエンになるかどうかは本人次第です。

ミャンマーの仏教徒は子どものときに一度は得度式を経てコーエンになることが多いですが、親がいる場合は1週間か2週間ほどで還俗します。孤児の場合は、そのまま僧侶として生きるというわけです−コーエンでも僧侶であることに変わりはなく、食事は午前11時頃の一度だけで後は水とかしか口にできず、早朝の托鉢から終日修行をするため、いくら孤児でも食べたい盛りですから、
出家までは決断できない子どもが多いのです)。

寄付は僧院のいちばん偉い僧侶に贈呈します。その後、僧侶から子どもたちに手渡されます。詳しいことは私にも判りませんが、贈呈の前にお経を唱え、各自が寄付する教科書を差し出すという儀式のような形式で進行するらしいです(ミャンマーの仏教は南伝上座部仏教、またはテラワーダー仏教で、出家した僧侶に対する敬意は日本の比ではなく、仏教については冗談は通じません。日本の一般的な仏教との外形的違いは、葬式に関与しない・墓がない・位牌もない・歌舞音曲を避ける・飲酒しない・妻帯しないといったようなことがあげられます。最近は墓をつくる人も少し出てきたようですけど・・)。

ミャンマーでは暑い4・5月が過ぎた6月から新学期ですが、お寺で勉強している子どもたちを教えている先生は全員ボランティアです。子どもたちが腕組みしているのはミャンマー流の先生に対する敬意の表現です(この習慣を知らないと部下が上司の前で腕組みしているとはけしからんと怒る日本人ビジネスマンもいます)。文房具を1月に寄付しましたが、写真を見た限りでは既に使い果たしたようです。

彼等はノートも取らず授業をそのまま記憶することが多く、このミャンマー人たちの習慣は交渉等のときでも出ることがあり、メモをしないのによく覚えていたりするので驚かされることが度々あります(もっとも最近はメモする人が増えましたけど)。

白の上着に緑のズボン、スカートというのが基礎教育学校の全ての生徒の制服です。これも寄付されていますが、中には着ていない子どももいます。肝心の教科書はほとんど見当たりませんから、今回ご寄付頂いたことで、彼等は本日から教科書を読むことができます。

(右の写真)ヤンゴンの事務所では昨日寄付用の教科書の必要部数を購入したらしく、今週中には持参するようです。昨夜届いた写真を送ります。

日本語を勉強中のエンジニアたちが手伝ってくれて、購入と学年別の仕分けをしたそうです(写真は協会のヤンゴン事務所)。
 ↑ 今回の寄付に対して偉い僧侶から感謝状を貰う様子  ↑ 寄付式のようす
 ↑ 寄付式のようす(2)  ↑ 僧院の生徒達(コーエン)
 ↑ 僧院の生徒達  ↑ 僧院の生徒達(2)

 ↑ 鮮明には見えませんが、笑顔が輝いている印象を受けたので、少し拡大してみました。

今、日本の小学校では、子供達の笑顔はどんな感じなんでしょうか・・・

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